畑、手放しました
畑、手放しました
4年間借りていた畑を解約しました。
もう少し景色の見渡せる、多少なりとも周りの自然を感じられる場所を求めて。
借りていた畑は、住宅街の中の駐車場のような区画のスペース。
畑を借りたのは、畑そのものもさることながら、むしろ自然を求めていたから。家から近いのはいいけれど、私にとって、野菜を育てること以上に、自然成分の優先順位が高かったことが分かりました。人によって畑をする目的はまちまちですね。
借りる前からそれは感じていたのですが、借りた時は、全く畑をしない0%より、畑が全くゼロよりも、多少なりとも不満はありつつも、借りた方がいいと判断して借りました。ゼロかイチかですね。ゼロでなくイチを選択した。その時点での判断は良かったと思います。
しかし、4年間、一番の目的である自然の中に身を置いている感はほとんどありませんでした。
振り返ると、2年前の段階で、周りの人に、畑を変えるかもしれないと言っていました。
契約更新しても良かったのですが、延長するとこれまでの延長でズルズルいくことは目に見えています。そのため、他の畑を探して借りるとしても、まずは今借りている畑を「手放す」ことをするべきと判断しました。
そのため、本日、解約の連絡をしました。
あっけない解約
本当に解約でいいのか?と、やや後ろ髪を引かれる気持ちもあり、多少迷いながら、「解約するのははこのタイミングだ!このタイミングの畑の解約ができないと、別の決決断も伝えられなくなる!」と、勢いも借りながら、解約の電話をしました。
トゥルルル・・・トゥルルル・・・
私「畑を借りている者です。畑をお返ししようと思います。」
相手「えっ?あ、そうですか。持ち込んでいる道具は全て片付けて下さい。」
私「分かりました。期限までに全て片付けておきます。そしたら、契約延長しないのは、この電話でよろしいですか?」
相手「はい。」
あっけない幕切れでした。
本当に解約でいいのか、解約のつもりが契約更新と発言してしまわないか、引き留められたら契約更新してしまうかも…。
電話をする前、呼び出し音が鳴っている間、色々な思いが頭をよぎりました。
杞憂でした。あっけなく終わりました。
行動をした後に、決断の腹が決まり、周りも動いていく
解約を伝えたことで、ようやく判断、決断が出来ました。
100%絶対の決断をした後に連絡をするのでなく、決めて連絡をした後に、後に引けない方向性が決まり、その判断についての腹が決まり、現実を受け入れられました。
伝えた後に、後に引けない、方向が決まった。面白いですね。
大きなものを手放す流れ
手に入れるには、今持っているものを手放すこと。
実は、他に大きく手放そうとしているものがあります。畑を手放せないと、その大きなものを手放せないと確信していました。畑を手放すと、その大きなものを手放す流れにも乗ることを感じていました。そのためにも、このタイミングで、今借りている畑を手放す必要がありました。迷いましたが、最後はノリと勢いで解約しました。
畑を借りている他の人と会った際、来年分は契約しなかったことを伝えました。一瞬驚かれましたが、借りる人の入れ替えは契約更新時にあることで、すぐに受け入れられ普通の対応でした。
別の大きなもの(と感じている)を手放す際も同じなのかもしれませんね。
何事も経験ですね。
このように人生、進んでいくのですね。
「対象者の主観」を捉えた研究は大丈夫です 主観を捉える勇気
学会に参加して気づいたことをお伝えします
昨日、今日、ある学会に参加しました。
気づいた点を記載します。
今回お伝えすることは、「調査対象者が捉えていること、見ていること」を対象とした研究はオーソドックスな研究方法であり、こうした研究をして構わない、ということです。
一見それはそうだよね、と思えるのですが、本当でしょうか?ここに至るまでの経緯があったのです。どういうことか。
人の主観を捉えた調査でも大丈夫
もともと、経済、地域、産業といった分野にいました。そのため、定量的、外形的に捉えられる事実を捉えた研究がほとんどでした。私のいた世界では、価値観、認知、心理といった人の内面を捉えた研究はほとんど目にすることがありませんでした。
自分の関心は、「その人が見ている世界、捉えている世界」でした。「その人が見ている主観」であり、外形的に捉えられる事実、誰が見ても同じ事実という意味での「客観」を捉えたものではないことに対して非常に引っ掛かっていました。
先生の中には、「自分は、主観と言われても気にしない」と言って下さる先生や、「『その人の考え方』はその人の主観かもしれないが、『その人がこのように考えている』ことは、客観的な事実であり、客観的と言える」と言って下さる先生もいました。
しかし、「その人が見ている世界」という意味での客観ではあったとしても、その人の考え自体は主観であり、学術の世界ではそれを研究とは言えないのではないかとの考えが私を縛っていました。
今回参加した学会では、学会の性質もあり、言ってみれば当然ではありますが、人の捉え方や心理などを捉えた研究がほとんどでした。
人の捉え方を捉えた研究が当たり前のように発表されており、主観を捉えていることに対する批判は全くありませんでした。
調査対象者数は少なくても大丈夫
調査対象者数は、1事例、2,3事例、10事例以内の研究も少なくありませんでした。サンプル数についても批判は全くありませんでした。
呪縛が少し緩んだ
何を対象に何を調べるかは、研究の目的や内容によります。
研究対象者が捉えている世界を把握した上で研究を行うことは分野によっては普通に行われていることで、決しておかしな研究ではないことが分かりました。
そうした意味で、自分の関心は学術研究に馴染まないのではないかといった呪縛は少し緩みました。こうした研究はどのようなものがあるかを見ることでもう少し緩んでいくと思います。そして、こうした観点からの自分の査読論文がアクセプトされた時に呪縛から解放されたといえるでしょう。
自己選択と生活スタイル:健康と利便性のバランス
「生活習慣病」。
現代日本では、生活習慣病や予備軍の人は少なくありません。普通の生活をしていると罹患します。
ん?普通に生活すると罹患する?これは一体どういうことでしょう?
これは、現代の生活、社会がおかしいのかもしれません。
私たちは、現代社会の生活スタイルに飼い慣らされているのかもしれません。普通に生活していると健康になる生活があるべき生活なのではないでしょうか?
こうなると、生活は「自ら選択する」必要がありそうです。
例えば利便性。利便性は、人類がよかれと思ってしたことの結果です。利便性が人間を苦労から解放してくれました。苦労から解放された結果として、不健康になっているのです。
どうやら、物事にはいい面と悪い面の両面がありそうです。
そして、いい悪いは、評価軸、時間の経過、誰にとってなどによって変わります。絶対的ないい悪いはなく事実があるだけなのです。
だからこそ、いい面や悪い面を多角的に見て、自ら生活スタイルを意識的に選択していかないと、ですね。
攻める時期と守る時期
仕事において、攻める時期と守る時期があるのではないか。
攻める場面と守る場面とった短期的なことは、仕事をする多くの人が経験し考えたことがあるでしょう。
人生において調子のいい時期とそうでない時期の波はあります。
仕事において攻める時期と守る時期は、短期的なものだけではないようです。数ヶ月や数年単位で、攻める時期と守る時期があることがあるようです。
人生のリズムにおいて調子がいまいちで低空飛行。そんな時期は仕事をする時の調子もいまいちだったりします。
こう考えると、仕事をする上で、数ヶ月や年単位の長期的に今は攻める時期、守る時期があってよいのではないでしょうか。
実は、年単位で調子がいまいちです。最悪期を脱しかなり状態が戻ってきているのが分かります。人生の時期の観点からは自分の調子を捉えられていました。しかし、仕事では長期的な観点からの「攻める時期と守る時期」の考えには至りませんでした。
産業医の穂積桜さんの記事で「攻める時期と守る時期」の考え方を知りました。これは長期的な観点から見た、本人の調子と仕事の調子との関係についてもいえる。
仕事において、「今は長期的な観点からの守る時期でいいんだ」と捉える。仕事において、頭が働きにくかったり、疲れやすかったり、前向きな気分にならない。そんな時は、仕事でも「攻める時期と守る時期」があっていいと捉える。
仕事でも長期的な観点からの「攻める時期と守る時期」があっていいと思うと少し気分が軽くなりました。
仕事でも、長期的な観点からの「攻める時期と守る時期」があっていいんですね。
よかったら試してみてね。
それじゃーね。
エネルギーをチューニングする
上手くいっている人、流れに乗っている人はエネルギーが合っている。
武田双雲によると、この世というか宇宙や世界は波動とのこと。
エネルギー、波動を合わせることが大切。
エネルギーをチューニングすることを意識しよう。
手放すのは、過去への執着と将来の不安
断捨離で手放すのは、「過去への執着」と「将来の不安」。
捨てて、手放して、身軽になりましょう。
過去の対比語は未来だけど、将来の方が現実味があるため将来と表現してます。